KinKi25周年イベントで再燃した私の話

3回目の再燃を経て充血するほど語りたいが、話がまとまらなさ過ぎて頭を抱えていたので、安易な気持ちではてなを登録した。

継続的に推していた方に申し訳なさを感じつつ、コロナ禍を経て再燃した今の気持ちを書き綴っていく。ただの徒然話なので暇つぶし程度にお付き合いください。

 

私は各ジャンルに推しがいる。漫画、e-sports、声優、ゲーム実況それらとは別に音楽も好き。浅く広く、たまに熱心に推す中でもKinKi Kidsは私の殿堂入りを果たしている。子どもの頃からずっと好きだし、彼らが笑ってる姿を見ていつだってこちらも笑顔にしてもらった。
けれどもこのコロナ禍、KinKiやソロのコンサートから遠ざかっていた。

 

中学生時代からKinKiのライブに行くようになり、大学時代はバイトとサークルが忙しすぎて追えていなかったけれど、薔薇と太陽で再びぶちあがった私は、20周年イヤーを真剣に追っていた。ついでに私は院進が決まって、学生延長戦の社会人モラトリアムを謳歌するつもりだった。時期的にも運が良かった。20周年だし、就活までちょっとあるし、盛り上がれるぜ!
などとのんびり構えていたけど、現実はそんなに甘くない。モラトリアムってなんだろう。慣れない環境やら状況で目が回る中、自分を誤魔化すためにフラワーを延々ループして乗り切り、20周年をお守りに生きていた。

時を同じくして始まったKinKi20周年イヤー。キンキ友4人で応募した。誰も当たらなかったらどうと当落が出るまで震えていた20周年イベントはなんとか当たってくれた。これは研究発表を乗り切れの暗示だわ、と友人と固く握手を交わして喜んだ。チャリで転んで血だらけになっても、イベントを思えば痛くなかった。実験がうまくいかなくても、研究テーマを教授が良しとしなくても、撮影中という未満都市のドラマを思えば菩薩のような心で受け入れられた。KinKiで浮かれていることを知っていた先輩たちは、KinKiを人参のように私の目の前にぶら下げて、毎日お尻を叩いてくれていた。

研究室のミーティングが終わって、今日はもう家に帰って歌番組見るか、夕飯何にしよ、と考えていた時だった。必要事項以外話しかけてこない無口な先輩が、唐突に「のどぐろさん、入院だって」と慌てた様子で話しかけてきた。あまりの慌てっぷりにかなり困惑した。だ、誰が…?と恐る恐る聞いたあと、思考がフリーズしてしばらく動けなかったことを覚えている。

見守ることしかできない全てに涙を飲んだ。彼らが公式で発信することだけを聞き、提供してくれるものを100%楽しむことが、今できる最善だと考えた。彼らの絆を、ファンへ寄せてくれる信頼を、彼らが魅せる精一杯を、祈るような気持ちで見ていた。

 

社会人になってから激務部署に配属になり、考える暇もなく日々は終わっていった。家に帰ってから即寝する毎日。純粋に趣味に勤しむ時間が急激に減った。ストレス強度があるのは推しがいたからなのに、推しを摂取できない。推しを推すために働いてるのに、満足に楽しめない。フラストレーションが跳ね上がった。

学生時代は人参作戦で受け入れられていた推し活も、社会人一年目の荒波は許してくれなかった。仕事をこなすのが遅いせいで平日のライブに間に合わないし、化粧品に仕事用の服に靴を買わなくちゃいけないし、有給休暇は支給数がまだまだ少なくて遠征なんてもってのほか。こうやって社会に飲まれていくのかと厳しさを知った。

ついには年末のKinKiにだけ照準を合わせよう、あわよくば土日のソロがあれば行きたいな、と緩やかにライブに距離を置き始めてしまった。今思えば体力がなかったのかもしれない。筋トレをしておけばよかった。

 

だから当たり前のように推し活のモチベは一瞬で返り咲いた。現場しか勝たん。2019年のKinKiのライブでは奇跡的に全ステすることになった。楽しかったし、感動もしたし、やっぱりKinKiがすきだなあ、と実感した。筋トレも始めて3ヶ月ぐらいが経ち、体力がついた頃でもあった。やる気にも満ちて、社会人はワークライフバランスだろ!!と叫んでいた。時間がないじゃなくて、時間は作るものだよな!と。

 

剛さんがThanks2youコンで「2020年はもっとみんなと時間を過ごせるといいね」みたいなことを言っていた(と思う)。だから私は浮かれていた。

たとえSHOCKの当落で名義が仕事をしてくれなくとも、ケリーも小喜利も当たってくれなくとも(ソロの勝率が低すぎる我が名義…)。KinKiはまた年末にコンサートあるだろうし、2020はもう少し仕事もしやすくなるでしょ!と。King Gnuのライブハウスツアー当たったしメトロックのチケットも2daysゲットしたし、バレーボールの有明アリーナのこけら落とし試合のチケットも当たったし幸先いいじゃん!2020めちゃくちゃ楽しみだなあ~!!と、かなりはしゃいでいた。

そんな楽しみを打ち砕くコロナが上陸した。最初は2010年ぐらいに流行ったインフルと同じかなとか浅い認識だった。チームみんな出勤してたし、リモートワークになる気配もなかった。

有明のバレー中止だってね」

出勤して朝ミしてた時に上司が話しかけてきた。数日前にバレーボールの日本代表戦の魅力を上司に語ったからだろう。3月のぬるい朝の日差しがオフィスに差し込む中、初の年度末処理で目を回しながら決裁をなんとか終わらせた翌日のことだった。

 

その日の中止を皮切りに、ライブツアーも中止、SHOCKも中止、メトロックも中止。出勤も禁止された。

すごく寂しかった。

支えにしていた楽しみがなくなって、いつ終わるかもわからない、見たことのない社会が広がって、単純に心が折れてしまったんだと思う。

 

初めて行ったKinKi youコン追加公演のオープニングをいまだに覚えている。東京ドーム3階席の1塁側。後ろから数えたほうが早い席だ。二人しかいないのに、こんな高い位置にいる人も楽しめるのだろうか。
そんな心配をよそに、客電が消える。暗転とともに響く愛のかたまりのアカペラ。イントロとともに輝く大きなクリスタル階段。そして颯爽と降りていく二人の姿だけで、私は「KinKi Kids」の虜になった。

純粋にかっこいいな、と思った。一人でもすごいのに、二人揃うとそれはもう無敵になる二人が面白くて好きだった。ファンに対してまっすぐで、不器用で、まじめで、そんな二人を応援できる今が最高だな、と思っていた。

20周年の時は、いろんなハプニングが起こる中、二人が前を向いていることが支えだった。ファンを精一杯楽しませようと熱意がプロを感じさせた。

 

だから当然、私もコロナ禍は耐えられると思った。ライブが配信でも、テレビがリモート出演でも。楽しみは変わらないし、彼らは変わらない。

精一杯のエンタメを楽しもう。

きっと代替できるに違いない。

 

結果として、配信ライブと私の相性はすこぶる悪かった。

そもそも配信時間に仕事が終わらない。配信のために有休をとる気になれない。そもそも有休を使っても家から出ないのに使う意味はあるのだろうか。配信を逃したらアーカイブを見る気にならないし、その時間があったらオンラインゲームで遊びたいと思った。年始に立てたワークライフバランスなどという目標は全く達成できなかった。

なにより、きらきらとした”生”を実感できないことが、本当に寂しかった。

 

 

2022年1月1日。

久しぶりだったはずのKinKiの現場は、記憶が今もほとんどない。

友人に言われるまでライブに行ったことさえ忘れていた始末だ。

起き抜けに3年以上日本に帰国できていない友人とあけおめ電話をした記憶はある。いわれてみればラクーアの韓国料理屋で鷄白湯を食べた記憶もある。

友人へのラインを見返すと、愛のかたまりで教会みたいな背景になって困惑したやり取りが残っている。

なのに丸ごと、ごっそりと記憶から抜け落ちてしまった。もったいない。

 

考えていても思い出せないので、キャパオーバーだったのだろう、と結論付けることにした。

2020年から2年。2020年は外に出歩いたのはスーパーへの買い物と月に1回あるかないかの出勤だけ。2021年は数回友人と会うことも増えたが、感染者がぐっと減ったタイミングだけ。
あんなに生きがいだったイベント参加のすべてが悉くなくなってから、実に2年ぶりの現場と推しだった。
ライブBDもシングルも買っていたけどBD再生機にディスクを入れるのは面倒だったし、土曜日は昼過ぎまで寝ていたし。やることといえばたまに学生時代の友人とオンラインゲームをするぐらい。

自堕落すぎた私には、あまりにも刺激的だったのだろう。

 

年始の社長挨拶を聞きながら、今年も2021年と代り映えしないのだろうなぁ、思っていた。

25周年企画として出演料25円企画が広告で公開されたけれど。

Twitterの広告でKinKiのサシ飲みCMが流れ始めたけれど。

徐々にライブが増え、フェスの開催が告知され、イベントが増えたけれど。

期待しすぎないほうが良いと傍観していた。

 

6月。KinKiの25周年イベントが告知された。

その時は感染者がようやく落ち着き、日本への外国人観光客の渡航が解禁され、大きく情勢が動いていた。職場で今年の夏こそはバーベキューしたいね、なんて話がちらほら聞こえてきたほどに、会社自体も規制を緩和し始めた。

2年も他の県に足を運んでいなかったし。できるなら25周年イベントは行きたいと思った。大阪でも東京でも、どっちでもいいから1回は行きたいなあ。できれば大阪行きたいなあ。関西に就職した友達とも会いたいし。

なんて言っていたら大阪公演が2daysも当たってくれた。自名義だけで同イベ2日日程なんて当たったことがなくて心底当惑していた。1dayで全然いいのに、、どうしたの、、と。今思えば沼の始まりだったのかもしれない。

 

なんやかんやで大阪入りを果たしたが、ライブ会場で整列入場している時まで、頭は別のことでいっぱいだった。

ペンライトの注文時期をミスって間に合わず過去のペンラのために電池を探したり、三連休明けの仕事の段取りを考えたり、イオンモールでかかってたTWICEの新曲にウキウキしたり、資格の勉強しなきゃなあと思ったり、夜ご飯をどうするか考えたり。

KinKiのライブに心いっぱい、では正直なかった。

 

そんな私が、会場に入ってからの空気に一撃で意識を持っていかれた。

大阪初日はアリーナ席で、メインとバックから同じぐらいの距離の本当にど真ん中。

KinKi Kidsの25周年を祝うファンの気持ちが会場を隅々まで満たしていて、だれも「おめでとう」と叫んでいるわけでもないのに、ぐっさり心に刺さるほどの温かい。

KinKiは常に頭の片隅に存在していた。KinKiがあのシングル出した時は私はこうだったな、KinKiのCM見て部活帰りにお菓子買って食べてたな、KinKi繋がりで友達が何人もできたな。思い出が走馬灯のように溢れてきた。

気づいたら涙が出ていた。

友人は急に泣き始めた私を笑うわけでもなく、25周年でドーム公演なんてとんでもないことだよ、とつぶやいていた。

 

客電が消えて1曲目のFRIENDSが流れ始める。

私はこの歌がとても好きで、コロナ前のカラオケでは中島みゆき様の銀の龍の背に乗ってと同じぐらい歌っていた曲だ。

友情を描く曲を、デビュー25周年を迎える彼らが歌う。

FRIENDSを聴いて、なぜか私の友人たちの顔が浮かんだ。

中学・高校から仲が良い友人たち。気づけば10年以上の付き合いになっていた。いまだに下らない会話でケラケラ笑っておなかを痛める。愛おしくかけがえのない時間だ。そして、そんなやりとりが老後まで続いてくれたら素敵だろうな、と願っている。

この5年で私は学生から社会人になり、仕事をするようになった。純粋で居続けることの難しさにも直面するし、人のやさしさに触れることもある。そうして大人になる中で、幼い頃から付き合っている友人の存在に救われている。

彼らもそうなのかな、と押し付けがましく考えていた。

運命とも言える出会いではあったけれど、それだけでは25周年を迎える理由にはならない。

90年代の倫理観がぶっ飛んだTV業界を二人で支え合いながら乗り越えてきたからと言って、それだけで関係性を保てるわけではない。

まさしく「国民的」人気を博した彼らが、同じ立場同じ境遇でいられた唯一無二の仲間だからと言って、それだけで続けられるほどやさしい世界ではない。

 

金スマNHKスペシャルを見て、そしてライブを見て、運命や奇跡だけで片付けられる関係性じゃないよな、と実感した。

彼らの関係性がどれだけ特殊であるか。そしてKinKiを近くで見てきたアーティストたちがいまだに「純粋」「無垢」と表現することがどれだけ異常であるか。

20周年の時はただただ喜んでいた。おめでとう、20年もKinKiでいてくれてありがとうと。

それから社会人になって、この20年という数字の重みを改めて知った。彼らは皆さんの応援があったから、と謙遜するけれど、そもそも続けようとしてくれないと、続がないのも事実だ。

彼らは結成から数えたら30年以上、第一線で、しかも前例がないことにチャレンジし続けている。

そこにはKinKi Kidsへの可能性と期待を誰よりも彼らが持っているからだろうと思い知らされた。

 

まだ一曲目しか歌ってないのに、来てよかったなぁと思った。25周年のイベントを開催してくれたことに心から感謝した。

FRIENDSを歌うKinKiは30年以上のキャリアを持つベテランだ。歌い方だって昔と違うし、声だって子供ではない。なのに彼らが描くKinKi Kidsは、子供のころに見ていた時から変わっていない。

顔が好みとか、歌が好きとか、バラエティが面白いとか、二人の掛け合いが楽しいとか。いろいろ理由は年を重ねるごとに増えていった私の価値観が崩壊した瞬間だった。

ただただ、KinKi Kidsが美しかった。

 

Amazing Loveを歌う彼らを観て、KinKi Kidsとは、と質問されたときに、彼らは関係性の比喩として「自律神経」「両翼」と答えていたことを唐突に思い出した。

どちらも共通して「生命維持にかかわる必須機能」「2つ揃っていなくては飛べない」という必要不可欠性を表している。KinKi Kidsという関係は、今を丁寧に慎重に紡いできた延長線上にあるのかもしれない。必要だからこそ、なくてはならないからこそ、純粋で居続けられたのかもしれない。

人間はモノや事象を理解するときに名前を付けたがるという。逆を言えば、名前がないものを認識できないとも。

だから人々は25年以上に渡り、彼らに「KinKi Kidsとは」「お互いの関係性は」という言葉を投げかけてきた。彼らが持つ異質さに名前を付けて、すっきり解明したかったのだと思う。

一方で、日本には「曖昧」という美学がある。昔から白黒をつけず、心の機微をあらゆる比喩で表現しようとした。それがずばり表すわけではないけれど、なんとなく共感できるような、そんなもの。

25周年イヤーの番組ラッシュで、「どんな関係?」と聞かれて、夫婦みたいなもん、と答えるシーンが増えた。あえて名前をつけられる夫婦という関係性を聞くたびに、彼らの関係性がやっぱり複雑だな、と思う。信頼、安心、共同経営、無関心、意識、無意識、当たり前、感謝、弱み、強さ。

いろんな要素が織り混ざり答えが出ないKinKi Kidsという人間関係は、言葉にするのは難し過ぎる。けれど、2人という関係性においては、KinKi Kidsが最も理想的な姿なのかもしれない。

 

出会いから31年。

言葉が少なくてすれ違うこともあるだろうし、言わなくてもわかりすぎるほどわかってしまうことだってあるだろう。歩み寄ったり突き放したり、時には疲弊したこともあっただろう。そんな彼らが、今も同じ季節を並んで二人で歩いている。

それが奇跡的なようで、血の滲む努力が隠された"美しさ"。

それを実感させられたイベントだった。

 

 

2日目に告知されたYouTubeチャンネルを嬉々として登録し、友人とホテルまでの道のりをウキウキで歩いた。

21日の生配信では、東京ドームの3階席に座り、グータッチする二人を見て胸が熱くなった。

ラジオもテレビも雑誌もチェックした。

まんまとKinKi熱は再燃して、今では必死にライブBDと過去のテレビ出演を再生している。過去の反省を生かし距離を取っていても録画は漏らさず初回限定版だけは買っていた自分はGJとしか言いようがない。再燃準備は万端だった。

彼らが変わらずKinKi Kidsであり続けてくれる限り、これからも急に熱をもって応援したり、少しだけ距離を置いたり、マイペースに推していくことだろう。そんな距離感で居させてくれる二人がありがたい。

 

”See you again for the magic time at this place in this winter!”

 

こんな素敵な言葉をくれる二人は正真正銘、私の中で最強のアイドルデュオだ。これからも彼らが魅せてくれる未来を楽しみにしている。